『道得三十棒 道不得三十棒』(いいうるもさんじゅうぼう いいえざるもさんじゅうぼう)
禅問答の問いに答えても警策で三十回叩き、答えなくても三十回叩く。
怒ってばかりの人がいるものです。しかし、その怒りの中身は一様ではないようです。文字通り”叱責”の時もあれば、”励まし”の時もある。もしかすると”誉めている”時もある。それを見極める【目】が必要です。行間を読む心の目ですね。カミナリ親父についても同じ事が言えるかもしれませんね。
禅ごよみ365日(誠文堂新光社)より
ここでは”怒り”となっていますが、どの感情でも同じ事がいえると思います
世の中の人全てが、素直に感情を表現できているわけではありませんよね
『察して行間を読みましょう』と言っています
でも世の中には、ここでいう『察して行間を読む』事が苦手な人だっているのです
その人に何度同じ方法で『察して』もらおうとしても無理です
素直に伝えましょう
その方が早いですし、誤解がなく済みます